鏡餅、いつ下げる? 鏡開きは、いつどうやるの?割り方・食べ方を教えて!
毎年、鏡餅を飾ってお正月を迎え、鏡開きの日だからと、鏡餅を食べますが、
深く考えずに飾ったり下げたりしていませんか?
本当は、いつ下げるのが正しいのでしょう?
また鏡開きには正しい方法があるのでしょうか?
鏡餅を下げる日や、鏡開きの仕方、地域による違いなどについて解説していきます。
目次
鏡餅を下げる日はいつ?
一般的に、元日から1月7日までは、「松の内」と言います。
「松の内」の「松」は、お正月に家の前に飾る「門松」のことを指します。
門松は、家々に年神様をお迎えするための目印であり、門松が飾られている間は、その家に年神様がいらっしゃっているということを表しています。
松の内とは、門松を飾っておく期間のことです。
門松を目印に、家を訪れた年神様は、松の内の間、鏡餅に宿ります。
ですから、この期間は鏡餅を飾っておかなければいけません。
松の内を過ぎれば、下げても良いということになります。
松の内の期間は、地域によってまちまちです。
15日までとしている地域もあります。
また、12月13日を、お正月の準備を始める「正月事始め」、「松迎え」、「煤払い」と言いますが、これは12月13日が、昔の暦で非常に縁起の良い日であることによります。
このことから、松の内の入りを12月13日とする説もあります。
鏡餅を下げたら、その後は?
鏡餅を下げたら、鏡開きを行います。
鏡餅には年神様が宿り、今年1年の幸せと魂をもたらして下さると言われています。
松の内が明け、年神様が帰られたら、鏡開きをして、鏡餅を食べます。
食べることで、いただいた幸せや魂を体内に取り込みます。
また、硬い鏡餅を食べることは、「歯固め」と呼び、歯を丈夫にして長寿を祈ることにもなります。
鏡開きは、江戸時代の武家の行事が元になっていると言われています。
江戸時代のお正月、武家では、具足と呼ばれる鎧や兜などの体を守る武具を飾り、その前に餅をお供えしていました。
この「具足餅」を下げ、木槌で割って食べることを、「刃柄(はつか)を祝う」と言い、「刃柄」と「二十日」をかけ、鏡開きは1月20日に行われていたそうです。
では、なぜ餅を木槌で割っていたのでしょう?
それは、刃物で餅を切ることが、武士にとって、切腹を連想させるものであり、縁起が悪いと考えられていたからです。
そのため、今でも鏡餅は、包丁などで切らずに、割らなければなりません。
割って食べるのですが、「割る」も縁起が悪い言葉です。代わりに、末広がりを意味する「開く」という縁起の良い言葉を使って「鏡開き」と言うようになりました。
鏡餅の割り方
鏡餅は、切らずに割るものだということはわかりました。
では、どのようにすれば、上手に割れるのでしょうか?
1週間以上経った餅の塊は手に負えない堅さです。
一般家庭に、木槌はないことが多いですから、金槌を使うことになるでしょう。
端の方から、細かく「コッコッコッコッ」と叩きながら全体にヒビを入れ、それから強めに「ゴン」と叩くと、割れます。
もう一度叩かなければならないくらい大きい塊や、中くらいの塊、粉々の部分とができます。
これで割れるのは、餅がよく乾燥している場合。
表面が傷つくだけでなかなか割れないときは、乾燥が足りないことが多いので、風通しの良いところで追って乾燥させると良いでしょう。
でも、すぐに対処したい場合は、文明の利器の力を借ります。
堅いままの餅を水に浸し、半日以上おきます。そして、電子レンジで4~5分。
電子レンジの性能にもよりますので、絶対に目を離さないこと。
加熱が足りないくらいから始めます。
窓から覗き、開けては指で押して様子を見ます。
その後は、10~30秒ずつ足していきます。手でちぎれる軟らかさまで加熱し、手で必要な大きさに分けましょう。
餅はレンジで加熱しすぎると、ドローっと形がくずれ、扱いが厄介になります。
硬さの確認や、手で餅を分ける際には、やけどに十分注意してください。
鏡餅の食べ方
鏡開きの餅は、ぜんざいに入れて食べることが多いですが、雑煮や鍋物に入れても合います。
やわらかく煮て食べましょう。
カレーに入れると食感がおもしろく、カレーにとろみがついて、美味しくいただけますよ。
残った餅は、小分けにして、ラップにぴっちりと包み、冷凍保存用密閉袋に入れ、冷凍して保存します。
カビが生えてしまったお餅は、食べない方がよいでしょう。
カビはほんの少し生えていると、目に見えないだけで、すでに奥深く広範囲に根を張っていると言われています。
左義長(どんど焼き)などで炊き上げてもらいましょう。
関東と関西の違い
さて、前述にて、武士の「刃柄」と二十日をかけて、1月20日に鏡開きが行われるようになったとしましたが、現在は、1月11日が一般的です。
また、関西では、今でも20日に行われるところも多くあります。
それは次のような経緯があったためと言われています。
1651年(慶安4年)4月20日に、江戸幕府 第三代将軍 徳川家光が亡くなったことで、月命日である20日を避け、1月11日に鏡開きが行われるようになりました。
111という並びが縁起良く、この日が選ばれたという説もあります。
一方、松の内は、小正月である15日まででしたが、松の内の間に鏡開きを行うわけにはいかないので、11日より前の7日までとなりました。
これらの変更は、幕府より城下町へのお触れとして発信され、関東を中心に広まっていきました。
しかし、関西方面までは広まらず、全国的に定着することはありませんでした。
結果、関西の多くや、その他一部の地域では、今なお、松の内は15日までとし、鏡開きは20日に行われているのです。
また、松の内が明ける15日に鏡開きをしているところもあり、京都では、4日に行われています
プラスチック橙と年神様
我が家でも、毎年必ず鏡餅を飾ります。
お正月の準備として、組み立てます。
組み立てる……そうです、文字通り、組み立てるのです。
箱から出して、厚紙の印刷通りに切って折って貼って、三方のできあがり。完成図を見ながら、四方紅や裏白、お餅、御幣をのせ、海老と扇と橙を落っこちないように両面テープで張り付けたら完成。
お餅をひっくり返して底面を剥がせば、中から四角い個包装の切り餅がバラバラと出てきます。
プラスチックの橙でも、切り餅が入った餅型をした容器でも、年神様は宿って下さるでしょうか。
私は、大丈夫だと信じています。
年神様は「なんと、なげかわしい」とはおっしゃらないでしょう。
2000年をとうに過ぎた今も、私たちは、毎年、「鏡餅」を飾り、下げたら鏡開きとして、鏡餅をいただくのですから。
カビを心配して、食べ損なってしまうくらいなら、安心して美味しくいただくことができる、真空パックや個包装も許していただけるはずです。
子どもの頃、祖父母の家で、お餅屋さんで買った大きな鏡餅を金槌で割るのを見ていました。
大小様々でいろいろな形のお餅ができ、ぜんざいに入っている餅の大きさがまちまちでした。大きいのは固い部分があったりして、今思えば、行事を楽しむことができていたと思います。
個包装の場合、割る行為は省かれますが、以前勤めていた会社では、社員数人が、大きめの鍋に市販の餡を使ってぜんざいを作り、発砲スチロールのお椀によそって全社員に配りました。
非日常で楽しい鏡開きでしたね。
細かいことは知らなくても、「縁起物ですから、少しでも」なんて言って配っていました。
鏡餅は、誰しも、多かれ少なかれ感謝の気持ちや、幸せを願う気持ちを持ちながら、いただくのだと思います。
年神様は、プラスチックの橙の陰から、全部お見通しでしょう。