昔ながらのお正月を迎えるのに必要なもの!いつから準備するのか、正月飾りの飾り方
正月を迎えるにあたって、いろいろ準備が忙しい年末。
「今年こそはきちんとしたお正月を迎えよう!」と思っても、そもそも日本古来のお正月というのはどういうものなんでしょう。
最近では門松を置く家も少なくなり、なんとなくで過ごしてしまっている正月期間。
準備はいつからするのか、何をどう飾ればいいのか、お正月気分はいつまでなのか…さまざまな疑問に答えます!
目次
準備はいつから?
元々「新年を迎える」というのは、「歳神様を家にお迎えして、その年の幸せを授けてもらう」ということです。
ということは、お迎えする準備が必要ということ。
この準備は、「事始め」と呼ばれている12月8日からすることになっています。
お正月の準備を12月の初めから行う、というのは現代だとなんだか不思議な気がしますよね。
「すす払い」という大掃除から初めて、正月飾りを置いたりと準備をすすめ、1月1日を迎えることになります。
準備するものリスト
正月を迎えるのに必要なものをリストとしてあげます。
- 門松
- しめ飾り
- しめ縄
- 鏡餅
とりあえず以上のものがあれば、お正月は迎えられます。
おせちも準備するとより良いでしょう。
昔ながら、というならば、必ずとはいいませんが、神棚の榊なども取り替えていただきたいです。
気になるおせちの中身は?
昔ながらの正月、といえばおせちは欠かせませんよね。
もともとおせちは、正月の間ぐらい煮炊きから女性が解放されるべく始まった風習。
しかし正月に食べるということで、縁起物がたくさん入っています。
- 黒豆は「まめ」という言葉から、健康で元気に働けるように。
- 数の子はニシンの卵なので、「二親(ニシン)」からたくさんの子供が生まれることから子宝と子孫繁栄。
- 田作りは五穀豊穣。
- 紅白かまぼこは、紅はめでたさと慶び、白は神聖さを表しています。
- 栗きんとんは黄金色なところから豊かさと勝負運を願って。
- 昆布巻きは「よろこぶ」から。
- 紅白なますも紅白でおめでたく、お祝いの水引をかたどっています。
- エビは腰が曲がっているところから長生きの象徴として。
- ごぼうは細く長く幸せに、という願いから。
- 里芋は小芋がたくさんつくことから、子宝を、
- レンコンは穴が空いていることから先を見通せるように
- くわいは芽が大きいので出世を願って
となっています。
正月飾りの飾る場所と飾り方を教えて!
門松
本格的な門松は、松を中心に据え、竹を後ろに添えて、手前に梅を置きます。 裾には割り薪を並べて、荒縄で巻きます。
この松竹梅は中国から伝わった縁起物で、「歳寒の三友」と呼ばれて画題とされていたものが、日本に伝わりました。
松は神の依代として、歳神様が乗り移る木。
竹はすくすくと伸び成長が早く、強い生命力の象徴として。
梅は寒中にも花を咲かせることから生気と華やかさを表しています。
飾る時は門や玄関前の左右に飾ります。
向かって左型を雄松、右側を雌松と呼びます。
しめ飾り
しめ縄はもともと神域や聖域を表す結界の一種で、新党での祭具のひとつです。
昔は神社と同様、家にぐるりとしめ縄を張り巡らせていましたが、それを簡略化したのがいまの正月飾りのしめ縄です。
それがしめ飾りにも発展しました。
しめ飾りは各家庭の玄関に飾ります。
子孫繁栄を願ったユズリハ、家庭流星、子孫連続を願ったダイダイの実、不老長寿、誠実、清廉潔白の象徴であるウラジロの葉などが組み込まれています。
鏡餅
鏡餅ですが、昔から餅は神様に捧げる神聖な食べ物として、お祝い事やお祭りにかかせない食べ物でした。
丸い形は「人の魂」を模していて、さらに神事に使う鏡も丸いことから、「鏡餅」と呼ばれるようになりました。
三種の神器でおなじみの鏡と勾玉と剣ですが、鏡は前述の通り餅、ダイダイが勾玉、剣は串柿で表しているとされています。
大小ふたつ重なっているのは、「陰陽・月と日」を表し、縁起が良いとされています。
こちらは歳神様へのお供え物、という側面が強く、床の間などがベスト。
床の間がない場合は、家の中の玄関から離れた場所の「上座」にふさわしい場所に置きましょう。
いつまで正月気分でいいの?
「松の内」という言葉はご存知でしょうか?
これは門松を飾っている期間のことを指します。
一般的には1月7日までを「松の内」といいますが、地方によっては10日までだったり15日までだったりします。
この「松の内」の期間中は正月気分でも大丈夫、ということ。
しかし日本には旧暦というものがあり、1月15日に小正月を迎えます。
元々は松の内はこの小正月まで、と取り決められていたそうです。
そして20日に鏡開きをして、お正月はおしまい!としていたのですが、徳川家光が4月20日に亡くなったため、20日という日をおめでたい日にしたくなかった徳川幕府の命により、20日ではなく11日に鏡開きを行うようになりました。
そのため、関東地方を中心に、松の内は7日までと変更されたそうです。
また、江戸時代に起きた「振袖火事」という明暦の大火(明暦3年の正月18日から28日)を教訓に、幕府から7日をもって飾り納めをする、という通達があったからとも言われています。
自分の出身地方に合わせて、正月気分は7日までだったり15日までだったりするようですね。