小学校高学年の読書感想文のまとめかた 先生のよろこぶポイントはここ!
小学校高学年になると、感想文の規定枚数も増え、ますます憂鬱になる人も多いのでは。
でも、せっかく書くのですから、先生がよろこびそうなポイントを押さえ、ほめてもらっちゃいましょう。
もしかしたら、選ばれてコンクールに応募されるかも!
目次
先生は何を求めているの?
良い評価が得られる読書感想文を書くには、先生が何を求めているかを知り、そこを目指すことが大切です。
先生が求めているもの、それは感想文の目的にもつながっていきます。
いろいろな本と出会って欲しい
みんなが読書好きというわけではありません。でも、本を読むことで、国語力や想像力を養い、知識を増やすこともできます。
読書感想文は、本を読まなければ書くことができません。普段本を読まない子が、本を選んで、読む。それだけでも、喜ばしいことなのです。
自分の気持ちを伝える力を養って欲しい
読んだ本を誰かに薦める場合、その本がなぜおすすめなのか、自分はどう感じているのか、ということをしっかり伝える必要があります。
相手に「そんなに言うなら、読んでみようかな」と思わせるほど、自分の気持ちを伝えられるような人になってほしい。
それは、本を薦めるばかりでなく、様々な場面で役に立つことでしょう。
考える力を養って欲しい
読書感想文の目的の一つに、「考える読書」があります。
普段の読書では、本の世界に浸るように読みますが、考えながら読むということはしませんし、する必要もありません。
一方、読書感想文を書くときは、考えながら読みます。この場面でどんな風に感じたか、自分ならどうするかなど思ったことを具体的に言葉にして、文章にするには、内容の順序を整え、分析をして、整理しなくてはなりません。
読書感想文を書くことで、順序立てて物事を考える力、いろいろな方向から考える力を養って欲しいのです。
行間を読む力を養って欲しい
行間を読むとは、何も書かれていない部分を想像し読みとるということです。
行間を読む力は、想像力でもあります。想像力を養うことは、実生活において、人の気持ちになって考えるということへもつながっていきます。
先生が求めるものを押さえた上で、先生のみならず人を引きつける読書感想文を目指しましょう。
求められているものから逆算して、構成を決める
小学校高学年に適切な、読書感想文の構成の基本は「書き出し~最初のまとまり」「本文」「締め」の3つです。
先生が求めていることを形にし、構成を組み立てます。
本との出会い
・選び方
誰かに薦めてもらった
図書館や書店で、おすすめされていた
題名やあらすじをみて決めた など
・読んでみてどうだったか
今まで読んだことのなかった作家の作品と出会った
初めてのジャンルにチャレンジした
初めて、こんなに長い本を読んだ
読書が嫌いじゃなくなった など
選んだ本との新しい出会いを強調しましょう。読む前と後の自分の変化も加えられると良いですね。
考える力、行間を読む力
何かを感じた部分をカギカッコでくくって引用し、その後に何を感じたかを書く。
引用は必要最低限にし、自分の考えを中心に書くことが大切。わかりやすい順序で、細かく具体的にはっきりと。
なぜこう思ったか、どうして感動したのかと、一つ一つ自分に問いながら、考えたことをすべて書き出すと、あいまいだった考えがはっきりしてくるでしょう。
こんな体験、経験があって、こう思ったという具体例も入れると、説得力が増し、内容に厚みが出ます。
伝える力
自分が最も伝えたいこと、言いたいことを自信を持って力強く書く。
この本と出会い、自分の気持ちや考えがどう変わったか。
引用文や自分の考え・感情、疑問など、本を読んで出てきた感想を、カードや大きめの付箋に書いて、並べ換えながら構成を組み立てていきましょう。
書き出しのポイント
1行目で引きつける
先生は、クラス全員が提出する読書感想文を読まなければなりません。先生だって人間。やる気のない文章なんて、飽きないわけがないのです。
たくさんある感想文の中で、先生の気を引くには、冒頭が大切。1行目で、「あれっ?」「おっ」と思わせましょう。
例えば…
・擬音から入る
・カギカッコを付けた、台詞から始める
・感想文の読者に呼びかけてみる
・作者に話しかけてみる
・締めに書くはずの言いたいことを先に言ってしまう
・いきなり、感情を前面に押し出す
スルーされず、少しでも先を読んでみようかなと思わせる書き出しを考えましょう。
書き出しと締めをセットで考える
同じ擬音や台詞を使ったり、最初で伝えたことを、締めでもっと具体的に言うなど、関連を持たせます。
何が言いたかったのかがわからなくなるのを防ぐことができ、収まりの良い文章になります。
本文のポイント
本文を最初に書く
書き出しや締めは後回しにし、最もボリュームがある本文から書き始めましょう。
気になった部分の引用とその感想という形
カギカッコでくくった引用文と、引用文について思ったことをセットとし、それを2~3個作ります。
登場人物と自分を比べる
「自分ならこうする」、「自分はそう思わない」など場面を日常に置き換えたり、登場人物になったつもりで考えたりしてみましょう。
わからないことや疑問点を解決する
読んでいく途中で出てきた、わからない言葉や内容、意味が分からなかった箇所などは、忘れないように付箋を貼って置きます。
必要に応じて、その場で調べ、付箋に結果をメモしておきましょう。
心に残った場面や台詞、会話
なぜ心に残ったのか。自分だったらなんと言うのか。漠然とした気持ちを、具体的にしていきましょう。
本の結末
話のラストについて思うことを、具体的に細かく書き出し、考えを明確に。
本は2度読む
本はできれば2度以上読みたいですね。
1度目はいつもどおりの読書として。2度目は、大きめの付箋と鉛筆を用意し、感じたことを書いて、その場所に貼っていきます。
貼りすぎると、まとめられなくなるので、付箋は4~5枚までにとどめます。後で減らしてもかまいません。
締めはこうまとめよう!
書き出しの項目でも書きましたが、全体の構成として、書き出しと締めに関連を持たせることができれば、まとまりがよくなります。
締めのことを考えて、書き出しを決めるのも一つの方法です。
また、以下の項目のいくつかを、締めとしてまとめていくとよいでしょう。
・全体を通して強く感じたこと
・作者や登場人物と自分とを比べてどうか
・本を読む前と後の自分を比べてどうか
・これから自分はどうしていきたいか
・作者や登場人物、感想文を読む人への呼びかけ
書き上げる
引用、感想、疑問と解決など、本を読みながら書いたカードや付箋を、感想文の構成順に並べていきます。
書きだしは何にするか、締めはどれをもってくるか。思いついたことがあれば、ここで足してもかまいません。
全体が見えたら、書き始め。
後から整理するので、立ち止まらずに、思ったことをどんどん書き進めましょう。
書き終わってから、不要な部分を消したり、順序を入れ替えたり、付け足したりします。消すときは消しゴムではなく、2重線で。
最終的に、本番の原稿用紙へ清書して完成。
パソコンで入力すれば、入れ替えや付け足し、削除は簡単です。その場合、提出時にはプリントアウトでよいのか、手書きがよいのかをよく確認しておきましょう。必要ならば手で清書し直します。
作例
題名:ぼくの選んだ道
「あなたの人生のターニングポイントはいつですか」と聞かれたら、ぼくはまずその日のことを答えるだろう」
読み始めてすぐ、ぼくは、ターニングポイントの意味を調べた。ターニングポイントとは、変わり目・転換点・分岐点のこと。人生の分かれ道のことを言っているのだ、とわかった。
そして、読み終わった後、このターニングポイントがとても重要な言葉だったことに気づいた。
この本は、大人になった主人公の光輝が「あの頃」を思い出す形で話が進む。
ぼくがこの本を選んだのは、お母さんに勧められたからだ。勧められなければ、きっとこの本と出会うことはなかったと思う。それくらい地味で、タイトルと同じように静かな表紙だった。そして、内容もタイトル通り、とても静かだった。でも静かなだけではなく、主人公の光輝が傷ついたり、反抗したり、あきらめたり、喜んだりと心を動かされるところも多くある。ぼくは、いろいろなことをたくさん考えた。本を読んで、こんなに考えたのは初めてだった。
大人になった光輝は、5年生になりたての始業式の日を人生のターニングポイントだと語っている。
今まで、幽霊のように影の薄い存在の光輝だったが、その日を境に、初めての友だち、野球、あだ名など、初めてづくしの毎日が始まる。お母さんと二人きりだった世界が開け、そこには新しい世界が広がっていた。
そんな中、お母さんの仕事が変わったことによって、光輝はお母さんと離れ、おじいさんと暮らすことになる。
おじいさんとの暮らしは穏やかだけれど、光輝にとっては新鮮で、ここでもまた新しいことの連続だった。新しいことはやがて日常になり、光輝にとっておじいさんとの暮らしが普通になった。
たまに会うたびに変わっていくお母さんに怒りやとまどい、寂しさを感じるけれど、お母さんは光輝が知っているお母さんではなくなっていた。
複雑な思いを抱きながらも、おじいさんと、友だちの押野、野球仲間のヤマやじゃらしと過ごす穏やかで楽しい夏の物語だ。
強く心に残っている場面が2つある。
1つは、光輝の「新しい世界」をお母さんが簡単に奪おうとする場面だ。
初めて友だちと呼べる仲間ができ、あだ名で呼び合い、野球をするようになった。飼育委員で初めて自分の意見を通し、グッピーを飼った。そんな毎日を終わりにしなければならなくなる。
「仕事を辞めることにしたの」
「引っ越すことになるわ」
「転校するってこと?」
「そうなるわね」
「ごめんね、光輝。本当に光輝には悪いと思ってる。野球もはじめたばかりでたのしいのも、よくわかるわ。だけど、もうどうしようもないことなの。母さん、がんばるから、光輝にも協力してほしいの。ごめんね、光輝」
「よろしくね。頼りにしてるわ、光輝」
こんな風に言われたら、子どもにはどうすることもできない。一人暮らしをするわけにいかないし、学区を越えて学校に通うこともできない。転校は避けられない。
ずるい、とぼくは思った。光輝のお母さんは、わかっているようなことを言うけれど、全然わかっていない。光輝のことを全く見ていないのだと思ってくやしかった。
読み終わってみれば、光輝のお母さんがこんな風になったのには理由があることもわかるし、新しい仕事に夢中で全然周りが見えていなかったのかもしれないとも思う。
でも、だから良いというわけではない。光輝がこのままお母さんについていっていたら、光輝はどんな大人になったのだろう。
分かれ道を選ぶとき、選ばなかった方の道のことはわからないから、選んだ道は間違いではないと思うしかないのだけれど、おじいさんと暮らす道を選ぶことができた光輝は正解だったと思う。
でも、この道は、光輝一人では選ぶことができなかった。「おじいさんの家で暮らす」という選択肢は光輝の中になかったのだから。光輝が選んでいたのは「元に戻ること」だった。
「少し前のぼくに戻ったと思えばいいんだ。えだいちというあだ名や草野球や飼育委員なんて全部うそだったんだ。ぼくはしょせん、だれからも気づかれない幽霊みたいな子どもで、それば本来の自分だったんだから、また元に戻るだけなんだと考えるようにした。」
こんな悲しい道を選んでいたかもしれないと思うと、光輝の思いに気づいていない光輝のお母さんに腹が立ってしようがない。でも、光輝でなく、ぼくや、ほとんどの子どもが、あきらめるしかないと考えるだろう。
そんな時、ちゃんと見ていてくれた大人がいたことは、光輝にとってラッキーだったと思う。担任の椎野先生が動いてくれたことで、光輝の閉じかけていた世界は再び開き、そして大人になるまで、おじいさんと暮らすことになる。少し前の光輝に戻ってしまわなくて本当によかった。
自分では気づくことができなかった道を、他の誰かが開いてくれることもある。それも、選択肢の一つなのだと思った。
2つ目は、押野に誘われて、「工場」を見に行くところだ。
気になる場所がある、と押野が言う。その工場を、「ロボットがおもちゃを作る工場」だと信じて、二人は自転車で出かける。本当にそんな工場があるとはもちろん思っていなかっただろうけれど、少しでもそれに近い、何かわくわくするようなものが作り出されている工場を期待していた。でも実際は、汚いスクラップ工場だった。しかも、そこで出会った大人は意地悪で、汚かった。二人はどんなに傷ついただろう。
「見なければよかった」
いつも元気で明るい押野がそうつぶやくくらい、彼の心は傷ついたのだと思う。
見なければ、ロボットのおもちゃ工場は、押野の心の中にずっと存在した。でも、彼は見に行くことを選ぶ。選んで、傷ついて、夢の工場は消えてなくなってしまった。選んだのは自分。押野はそれを受け入れ、自由研究として書くことで、気持ちを整理した。
いつまでも引きずらず、自分でケリをつけた押野を、ぼくは尊敬する。
ぼくは、いつも優柔不断で、選んだ方を後悔してしまうし、いつまでもウジウジと考えてしまう。
「人生は劇的ではない。ぼくはこれからも生きていく」
この本の最後の一文だ。選んだ道を受け入れる。それがずっと続いていく。
人生のターニングポイントは分かれ道のこと。道は、選ぼうと思って選んでいるわけではなく、いつのまにかその道を進んでいるのだと思う。
そして、道が一つしかないと思っていても、もしかしたら椎野先生や押野やおじいさんのように、他の道を教えてくれる人がいるかもしれない。
選んだ道は一つしかないのだから、それは間違いではない。ウジウジと後悔していないで、自信を持って歩いていきたい。
(「静かな日々」講談社文庫)
先生がよろこぶポイント=読書感想文に求められているもの
読書感想文に限らず、問題制作者の意図を汲み取ることは、成績アップには重要なポイントです。
私は現代文のテストの長文を感情移入して読み、答えを間違えることが多くありました。
一方、友人は、「向こうが答えさせたい答えを書く」と言っていたものでした。彼女の成績は言わずもがなですね。
「そんなの、良くない」と思っていましたが、なんのなんの、テストではそれが正しいのです。
読書感想文に至っては、
先生がよろこぶポイント=読書感想文に求められているもの=読書感想文から得られるもの
ということになり、先生がよろこぶポイントを押さえながら書いていくことが、結局は、力になっていくのだと考えられます。